「ゼラニュウム」
現場で直接ペンで描くスタイルを長年やっているせいか、緊急事態のなか野外スケッチが思うようにできないのは辛いものがある。
線描表現を続けているのはやはり好きだから。思うようにならない線描は永遠の課題。
だからと言って自分が感動する絵が線描だけとは限らない不意打ちの経験をしたことがある。
華やかなルノワールの絵を観に行ったのだが隣室に展示されていたピサロの一本の木に立ち尽くしてしまった。胸いっぱい。時を超えて作者の気持ちが伝わってくるような。それもなんと点描で苦しんだピサロの点描「エラニーサンシャルレ」クラーク美術館所蔵
数々の巨匠の絵を鑑賞するのとは違う感覚。何故だったのか。何はともあれそんな出会いがあった事をうれしく思う。
ピサロが語るには絵に決まった描き方がなくなった今「心持の現れている絵」がいい絵。色の明暗の正しさ。つり合いの確かさ。
絵は深い森の中を彷徨うようで冒険のごとし。それがまた魅力なのかもしれない
すみれのつぶやき
